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2009年4月19日日曜日

故司馬遼太郎氏・・・


この間、小学校から高校まで一緒だったE藤君が久し振りに事務所に遊びに来てくれました。僕の知らなかった同級生のその後など教えてもらい・・・卒業から27年位の間、皆さんそれぞれの人生を同じ時に生きてきているんだなぁっと感じました。独身・結婚・離婚・死別・倒産・・・・それぞれの生き方で一生懸命生きている・・もう20年以上会った事の無い同級生も先輩も・・時間を食べて結構良い大人になっているんじゃーないかと思います。なんか・・みんなどんな大人になってるのか会って喋ってみたくなった日でした。みんなどうしてるかなぁー?ブログを見て気にかかった方メールお待ちしております(笑)。最近、故司馬遼太郎氏の『歴史と小説』っと言う本をRショップにて購入して読んでおります。歴史物ベストセラー小説の裏の話を本にしてあるものですが、結構面白い・・明治維新の主人公の裏話など盛りだくさんです。その中で、萩原延壽氏との対談の中で僕が気になった一文が有りました『精神の自立を支えるものは思想の内容なのか形式なのか』という欄です。簡単に言うと自分個人を支える精神的基準は、宗教典の様な詳細な内容か(こんな風に生きるんだ・・)という単純?な形式的なものかっと言う事です。僕は、こんな変な?処で結構悩むのですが・・司馬さんは形式な事が精神の独立を保つと言っておりました。これは結構悩み深い僕・・?には、明るいヒントを貰った気がしました。要は、どんな風に行きたいか・・っという形式的な覚悟が大切だという事です。幕末明治維新の登場人物は、少なくともこの形式的な覚悟が自然とできていた。坂本竜馬にしても西郷隆盛にしても・・次の時代の為に自分を捧げる覚悟・・少なくとも私的な覚悟でなかった形式的思想があったので明治維新っとていう歴史的なドラマが出来上った。僕の師匠がぽつりと林道ツーリングの日の朝言った一言『横井さんは、雨が降ると出るか出ないか迷うでしょ・・だから朝辛いのよ・・とにかく行くと言う覚悟をすれば、後は、どんな風に行くか考えるだけだから辛く無いんですよ・・』なるほど・・形式的な覚悟が個人の精神の自立に繋がる・・・覚悟なんですよねぇ・・45歳になって未だ未到達・・・ゴメンナサイ・・(汗)


あえてNSPではなく(ふきのとう)の細坪さんの『愛のナイフ』です
最近、この曲はNSPの故天野さんの作詞で曲は細坪さんのものだと知りました。
亡NSP天野さんに捧げます・・本当に悲しいですね天野さんの死・・

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